全工程、約150km。香川県の小豆島にあるこの霊場は、弘法大師(空海)が生国である讃岐(現在の香川県)から京都へ上京または帰郷する際に、しばしば立ち寄り、島の各所で修業や祈念を行なったとされる霊験あらたかな霊場である。88ヶ所に奥の院6ヶ所を含めた94ヶ所が公認霊場となっており、寺院霊場30、山岳霊場10余、堂坊50余に分かれる。
愛知県の「知多四国八十八ヶ所」、福岡県の「篠栗四国八十八ヶ所」と合わせて「日本三大新四国霊場」のひとつに数えられることもあるが、弘法大師が修行の場としていたその歴史から、島の人たちは「元四国」と呼び、その文化やおもてなしの心を現在まで大切に継承してきた。
次は小豆島霊場会会長の言葉(親諭)である。
(小豆島霊場会会長親諭現代語訳)
西暦814年 弘法大師空海上人は真言密教によって国の安泰を願い守るための道場、そして世の人々を救うための優れた土地として小豆島に霊場を開いた。以来この仏の灯、教えを長く継承し、弘法大師が弥勒菩薩とともに我々を御救いに再びこの世にあらわれ、その功徳が広大限りなく行き渡ることを願う。この霊場はそんな願いをかなえられる、この世に2つとない霊場である。
ここに宣べる。遍路行をすることにより心と体の穢れや災いを取り除き、弘法大師に誓い信仰心を明らかにするとき、霊場はたちまち神秘的な空間となり、大師の力によって皆の祈りを現在にも未来に於いても叶えてくれる。
弘法大師はおっしゃられた。
「後世に生れ私を信ずる者たちよ、私本人に会えずとも、私の形像を見たときは、私に出会えたと思い、人から私の教えを聞いたときは、私から聞いたと思いなさい。そうすれば私は仏の力を以って、あなたを必ずお救い申します。」と・・・
小豆島八十八ヶ所霊場と四国八十八ヶ所霊場とよく混同される方がいらっしゃいますが、もちろん二つは異なる八十八ヶ所霊場です。
大きな違いは、小豆島霊場には四国霊場にあまり見られない、山谷や自然の地形を利用した「山岳寺院」があり、そこには古から伝わる「行場」と言われるものがたくさん存在します。
また全国の数ある霊場の中で唯一、八十八カ所(奥之院等を含めると94カ所)すべてが、弘法大師空海が開いた真言宗の寺院であります。ですから四国霊場には必ずある、いわゆる「大師堂」を別に構えている寺院は少なく、ほぼどの寺院も「本堂」に弘法大師をお祀りしています。もちろん大師堂のある寺院もあります。
また、弘法大師が故郷の讃岐の国と当時の朝廷のあった京都までの道すがら、この小豆島に立ち寄り山野を歩かれ修行されたという伝説が残っており、これから皆さんが歩かれるたくさんの遍路道も、きっと弘法大師もご修行の折歩かれたことでしょう。