コロナの一年、震災の十年――時を巡る断想――

 コロナの一年、震災の十年――時を巡る断想――

小豆島霊場第八番 常光寺住職   大林 實温

「コロナコロナでもう一年か。」「ホンマやな、自粛ばっかりでさすがにうんざりや。」「けどな、一日が過ぎていくの、メチャ早よ感じへんか?」「ぼくもそう思てた、この調子でいったら、あっという間にジジイやで。」友人と話していて、妙なところで気が合った。彼もコロナの日々が、かけ足で進んでいると感じていたのか。
コロナで苦しんだり頑張っている人たちから見れば、毎日のつらさを知らないで何をのんきな戯言をと、こっぴどく叱られそうだが、全くごもっとも。時の早さに驚き、とまどい、もったいなく思い、無為のおのれにバツの悪さを覚えつつも、一方で声高にはできないけれど、これはこれでいいのかも、と、持っていきようのないわだかまりを、やんわり慰めようとしている自分がいる。
しかし、なぜだ。世の常では、幸せな時や楽しい時間はあっという間で、苦しさやつらさは長く感じるのではなかったのか。
年を重ねたから一年が早くなったのだろうか。俗なたとえでは、十歳の子どもにとって一年は十分の一の重みだが、八十歳の人には八十分の一でしかない、という。話のつかみとしては面白いけれど、まるっきり鵜呑みにもできない。残された時間から逆算すれば、年長者の一年は子どもの一年よりもうんと重いはずだ。どうも数字に置き換えてしまうと、客観性というお墨付きを得たかのように、優劣とか高低を考えてしまう私たちの、物心ついた時からの忌まわしき習性が透けて見えてくる。
かのアインシュタインは「時間は相対的なものであり、観測者ごとに存在する」と言ったそうだ。文系脳では、彼の言説はとても歯が立たないが、意味ありげな言い回しである。時の長短の感覚は、快不快や年齢など、一人一人の置かれている状況で伸びたり縮んだりし、加えて、社会の変動からも影響を受ける極めて主観的な意識領域の現象であるという。たしかに、ひいきのサッカーチームのアディショナルタイムは、リードしている時には長く、負けている時は短い。空腹時のインスタントラーメンの三分は長いが、寒い朝ベッドから抜け出すまでの三分は短い。「時間とは、その場所にある時計で計られるもの」。ベロを出したアインシュタインのおどけた顔が浮かぶ。
でも、時間はなるほど主観的だとして、コロナに覆われた時間はどう理解すればいいのだろうか。アインシュタインに導かれて考えはじめたけれど、疑問はふくらんだままだ。

どうやらコロナの一年は、ステレオタイプの反応が当てはまらない何かがあるような気がしてきた。急速に心の有り様が変化していく未だ経験したことのない何かが。それは、ある物質が原子の組替えによって化学反応を起こし別の物質に変化するように、ある出来事が、個人の立場や環境の変化によって意味合いを変え、予想外の心象や、時には真逆の心象を形成するようなものだろうか。
コロナ時間が早く感じた理由の一つには、毎日代わり映えしない、「十年一日」のごとき単調な暮らしが続いているからだろう。地域の祭りやイベントごと、寺の行事はほとんど行えなかった。旅や食事に出ることもためらわれ、巣ごもり生活が続いていく。もちろん、コロナで生活が破壊されたり生存が脅かされたりする人もいて、そこには充分な共助公助の手が不可欠なことは言うまでもない。だが、私たちの多くは、さまざまな制約のもとで、ふと気づけばなんとかしのぎながら日常を過ごしている。ライフラインは保たれているし、衣食住もそこそこに確保されている。もう少し待てばワクチンの順番も回ってくるだろうとのほのかな期待もある。
心地よいはずもないが、かといって耐えられないわけではない。非日常が少しずつ、以前からそこにいたかのような顔をして日常と化してくるなかで、コロナの時間感覚は、この流れに沿いながら知らず知らず変化してきたのだろう。否定的な意味合いの「十年一日」が、肯定的な「日々是好日」に変わる。誤解を恐れず言えば、もしかしたら私自身は、コロナ禍で「日々是好日」を知り、体感しているのかとさえ思う。ここには私たち大衆の、逆境を乗り切るしたたかさと同時に、時代風潮に簡単に馴らされてしまうひ弱さが同居している。
そしてもう一つには、コロナで私たちの時間軸が麻痺しつつあるのかもしれないということだ。メディアの情報は繰り返され、虚実が飛び交い、微細になり、センセーショナルになっていく。そんな情報過多に私たちの感度は徐々に鈍くなる。コロナの広がりは現在進行形なのに、コロナ禍は慣れっこになって、皮肉にも私たちの意識から少しずつ後ろに遠ざかっていく。時は身近なほど長く、遠いほど短い。

改めて、過ぎていった年月を思う。
この一年の大きな変化は、やはり、巡拝のお遍路さんがほとんど来なくなってしまったことだ。小豆島の霊場は講組織での巡拝が主流なので、(コロナの)三密に加え、そろって読経する団体参拝が敬遠されるのは致し方ない。奥の院で護摩祈祷を行う回数もずいぶん減ってしまった。しかしこんなときだからこそ、少人数でも、また少ない添護摩でも、しっかりと勤めなければと、自身に課す。そうしたら、今までのにぎやかな勤行では忘れてしまっていた懐かしい感覚がよみがえる。
ひんやり薄暗い洞窟の中、祈願者と本尊の前で深呼吸する。磬子の響き、読経の声、太鼓の音、仏器がぶつかる金属音、護摩木のはぜる音、投じられた房花。ウバメガシ(当方ではバベと呼んでいる)を一房投げ入れると、油分が多いせいか、大きな音を立ててたちまち燃え尽きる。そして訪れる再びの静寂。真言宗は音の宗教なのかと感じる瞬間だ。
「最後にジューッという音がした時に、何かもやもやっとしていたものが消えたというか、軽くなったというか、すっきりした気分になりました」。初めて護摩を体験した一人の若者は、そんな感想を漏らした。彼のその時の心境は知るべくもないが、彼にとって、勤行前の静寂と後の静寂は、異なる世界になったのだろう。祈願者は、あるはずのない静寂の音に気づいたのかもしれない。
そして私には、仏器の音や蘇油の匂いが、加行時の揺れる心情を思い出させる。そうしてさらに、僧侶としての来し方をしばし振りかえる時となる。

あるいはまた、東日本大震災のこと。
ささいだけれど、忘れられない思い出。震災の年の五月、アンコールワットを訪れた。蒸し暑いシェムリアップの空港に降り立ち、空港施設に向かっていると、壁面に日本語と英語で書かれた横断幕が見える。「がんばれ、日本。Pray for Japan from Cambodia」。外国による支配や大虐殺の内戦を経て、まだ貧しく戦いの痕跡があちこちに残るカンボジアで、日本の震災に心を寄せる人々がいる。そんな国を日本人として観光するいくらかの罪悪感と、辛苦を経験したこの国の人々の心遣いとが、アンコール遺跡の光景とともに強く印象に残った。
そして後日、何気なくパスポートをめくっていたら、発行日が、”11 MAR 2011”となっているのに気づいた。思わず目を閉じて天を仰ぐ。大震災の断片的記憶が、印字された数字から、色彩を伴った鮮烈な光景として立ちのぼってくる。震災とアンコールはここでも繋がっていたのか。3.11のパスポートは、この日私が何を見、どう感じたか、被災した地域へ心を踏み入れていくパスポートでもあるようだった。
震災十年の節目を迎えようとしている。メディアではさまざまな人がいろいろな立場から、過ぎていった十年を振りかえり、現況を報告し、未来へ提言していくのだろう。虚心に耳を傾け、改めて心に刻む。そんな時間を過ごしたいと思う。

まもなく、この十年パスポートは期限切れだ。でも、あの日の感覚を定点観測するために、役に立たなくなったこのパスポートは、引き出しのどこかにそっとしまっておく。

(『六大新報』令和3年3月5日号より転載)