小豆島霊場に想いを巡らせて
小豆島霊場会会長 歓喜寺 河野宏宜
日本国内をはじめ、世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス禍の影響で、小豆島八十八ヶ所霊場も、今春の桜咲く季節ごろからの巡拝の白衣姿のお遍路さんの姿を目にすることはほとんどなく、疫病早期終息を願いつつ日々過ごしながら、小豆島霊場公認先達の皆さまのご健康をいつも心配しています。
私をはじめ、小豆島霊場寺院の僧侶はお遍路さんのことが大好きで、知らず知らずに日々お遍路さんのことを考えています。
例えば「どうしたらお遍路さんに気持ちよく巡拝してもらえるだろうか・・」とか「あの山越えの遍路道はきちんと通れるだろうか・・」などとついつい考えてしまいます。この様にお遍路さんのことをいつも考えているのは寺院僧侶だけでなく、この前には「あの先達のお遍路さんは元気にしているだろうか・・今度いつお顔を見て話ができるのかな・・」などと言っている旅館のご主人もおられました。
この様に考えると、あらためて小豆島霊場とお遍路さんとの密接な関係を感じました。
それは、お遍路さんと直接関係がある寺院や業者の人たちだけでなく、札所近くの住民の人たちからも「今年は、すっかりお遍路さんの白衣姿を見かけなかったし、お寺の鐘も聞こえなかったから寂しいな・・」などと言っているご高齢の方もおられました。その人が「昔、私が子供のころは『お遍路さん豆ちょうだい』って言って、お遍路さんについて行ってたのに・・」と懐かしそうに言っていました。
たしかに、私が子供のころも同じ経験があり、懐かしく聞いていました。そのようなあたり前の情景が見られなくなるのは大変寂しく残念であります。
今回の新型コロナウイルス禍で、リモート会議や、リモート飲み会などというパソコン越しに顔を見て会話をしたりすることが多く見られました。
これはこれで、確かに便利なシステムであり、活動範囲も広がり今のこの時代には良いのかもしれません。でもやっぱり直接お顔を見てお話をすることの大切さを感じました。人の喜びや悲しみ、人の温かさを直接会って肌で感じ確かめられることが、どれほど人の心に安心を与えることなのかと痛感したのと同時に、ただでさえ人と人の関係が希薄になっているこの時代に大きな不安を感じました。
しかし、私たち人間は過去に幾度もあった疫病と戦って苦境を乗り越えてきました。それは医療関係者の努力による新薬の開発や、原因解明に一生懸命に取り組まれたことも当然あったと思います。
しかし、人々の心の不安を救ってきたのは、人の心の中に仏や神への信仰心があったからだと私は思います。信仰はいつの時代でも私たちの心に寄り添って不安を和らげて安心を与えてくれます。
私たちは、よく困ったときには心の中で無意識に何かにお願いしたり、手を合わせたりします。
それは、私たちの心の中に信仰心があるからです。ですから今のこの新型コロナウイルス禍のなかで不安や心配事があれば小豆島霊場を思いだして小豆島霊場に想いを巡らせてお手を合わせていただきたいと思います。きっと皆さまの願いを小豆島霊場札所の御本尊さまがお聞きくださるものと思います。
そして、この新型コロナウイルス禍が終息に向かい、安全に巡拝ができるようになった時には是非今一度皆さまに小豆島に直接お参りに来ていただき、元気なお姿を見せていただき沢山のふれあいが出来ますことを心よりご祈念いたしております。
合 掌
(遍照176号より抜粋)