般若心経のこころ
但馬三宝会代表 美方郡温泉町
善住寺 住職 山地 弘純
般若心経の中では「空(くう)」という言葉がたくさんでてきますが、これは数字でいう「ゼロ」のことです。「五蘊皆空」という一節を意訳すると「所詮あなたの思い込みですよ」と訳すことができると思いますし、その苦しみを生む自分の価値観や固定観念を手放し、その蓋を外すことで湧き上がる感情を手離していくことが、般若心経セラピーの醍醐味です。
私は他者からお悩みの相談を受けた際には、まず傾聴した後、次のことを問います。その原因は相手にはなく自分の内側にこそあるのです。それに自分が気づくためのプロセスなのだと思いますが、自分に向き合ってみようと思いますか?全てのものが実体なく変わりゆく諸行無常の世界で、あなたはなにに執着しているのですか?その執着し、滞っている「こうしなければならない」「こうあるべきだ」という自分の価値観・固定観念を流してあげれば苦から楽に変わりますよ。この世界においてしなければならないことなどなにもないのです。ですからあなたの思いを「こうしなくてもよい」「こうあらなくてよい」に変えることができますか?もしそこに強烈な抵抗があるとすれば、その許せない思いはどこからやってきたのかなと遡ってみると、過去の癒えていない心の傷が見つかったりするものですがいかがですか。
そうやっていくつもの相談を受けていた訳ですが、ある女性とのお話がとてもわかりやすい例になると思いますので紹介したいと思います。仕事上の愚痴を聞いてほしいということで、彼女は職場の同僚との関係性を中心に起こった出来事や自分の腹立たしい思いをいろいろと話してくれました。その中で私なりに話のポイントを整理すると、「感情的になるのはやめるべきだ。」「感情を態度に出してはダメだ。」「すぐ泣いて自分を被害者にするのは許せない。」「子供みたいにして大人気ない人はほんと大嫌い。」というキーワードが浮かび上がってきたのです。これが他者を通じて自分の内側から浮かび上がった「こうあらねば」「こうあるべき」という執着です。私は「感情的になってもいいじゃない。」「感情を態度に出してもいいじゃない。」「すぐ泣いて自分を被害者にしてもいいじゃない」「子供みたいにして大人げないふるまいをしてもいいじゃない。」というニュアンスのことをさりげなく言うと、「え~、それは許せない」と彼女は言いました。「その許せないって思いはどこから来るんだろう」と尋ねているうちに、彼女はぽつりと大切な過去の思い出を語り始めました。お父さんの虐待。それでもお父さんもいろいろあってかわいそうだからって自分がそれを受け入れてきたこと。おかあさんはすぐ泣いて被害者ぶっていてそれが嫌だったことも。どうやら子供のころから大人びていて、他者への共感力が高く、自分の思いよりお父さんの思いを大切に生きてきたのだということが窺えました。「そっか、彼女はあなたの真の望みを教えてくれたのかもしれないね」と私は彼女に伝えました。「ほんとはかなしかったんだよ~」「ほんとはそれを態度に出したかったんだよ~」「ほんとはお父さんのせいでってすぐ泣いて言いたかったんだよ~」「ほんとは大人ぶっていたけど、子供らしく表現したかったんだよ~」そんな彼女の叫びが聞こえてくるような気がしました。執着は本心の上にかぶせている蓋なんですね。「こうせねば」というねばねばの感情を「納豆感情」というそうですが、蓋をしたままだと本音が発酵してしまうのでしょう。「たしかに楽しいっていう表現はすごくしてきたけれど、悲しいっていう表現は抑え込んできたのかも。これからは両面を表現していきたいと思う」と最後に言ってくれた彼女のことは、これからも大切に見守っていこうと思います。
このように、1つの出来事があり、それをみなが同じように体験したのに、あの人は大して気にしていないけれど、自分はなぜかものすごく怒りが収まらない。みんなはほっとくことができているけれど、自分はどうにも一言言ってやらないと気が済まない。そんなこともあると思います。それは自分の中に怒りの種があるからです。怒りの下層部に何があるのかを丁寧に傾聴し、その蓋を外していくことで抑圧された感情を見つけることができるのだと知っておくといいですね。
次にそんな過去の傷つきを癒すことができるヒントが「不増不減」という一節にあります。得たものもあれば失ったものもあり、失ったものの影には必ず得ているものもあるというプラスマイナスゼロの「空」の視点です。スピリチュアルケアの講座の時にもこのようなワークがありました。「あなたは病気で健康というとても大きなものを失いました。しかし失ったものが大きければ大きいほど得ているものも大きいはずです。失ったものと引き換えに得ているものに意識を向けてみましょう」と。するとやっぱり見つかるわけですね。「家族の温かさが身に沁みました」「食べ物がなんでも食べれなくなったからこそ喉を通るもののありがたさがわかりました」「実は仕事が嫌で嫌でやめたいと思っていたのに実は病気になったおかげで叶っていました」などなど。まさにプラスマイナスゼロの般若心経の世界観だと感動したものでした。
彼女の場合、自分の心に問うのは本当に酷なことかもしれませんが、それでも探してみてほしいと思います。「虐待という自己の中で否定的になっている体験があったからこそ得ているというものはなんですか?」いつかそんなプラスが見つかりゼロになった時、過去は流せていくのだろうなと思います。信じて下さい。マイナスが大きければ大きいほど、プラスも大きいということを。
この世界はどんな世界でしょうか。それは自身の捉え方によっていかようにでも変えていけるのだということを「般若心経」は教えてくれます。「五蘊盛苦」つまり「思い通りにならなくて苦しい」という時にこそ、般若心経で片寄った心をゼロに解き明かしていくチャンスであることを皆さんには知っていただきたいです。
皆さんの見える世界が、自由に満ち溢れた世界でありますように
合掌
(遍照173号より抜粋)