第2回遍路道整備

2月19日・20日小豆島霊場の有志寺院により遍路道整備を行いました。
初日の午前中は第71番滝宮堂から第72番奥の院笠ヶ瀧まで、昼から第54番宝生院から第55番観音堂・第56番行者堂、第69番瑠璃堂から第70番長勝寺にそれぞれ分かれて整備しました。
2日目の午前中は第28番薬師堂から第29番風穴庵まで、昼からは第41番佛谷山から第42番西之瀧、第26番阿弥陀寺から第28番薬師堂、第42番西之瀧から第35番林庵にそれぞれ分かれて整備しました。
今回も倒木や倒竹をチェーンソーやノコを使って整備し、ブロワーや熊手を使って落葉や落石の除去を行いました。また、先人の知恵をお借りして階段の再整備や溝の切り方など教えてもらいながら行いました。

参加者:
歓喜寺、多聞寺、明王寺、池田長勝寺、大聖寺、宝生院、長浜長勝寺、森下忠雄、岩見守、三木榮



令和2年度第1回遍路道整備


去る1月17日小豆島霊場会の有志寺院と小豆島霊場先達で遍路道整備を行いました。
午前中は堀越から田ノ浦までの馬立峠の整備を行いました。馬立峠という名前の由来は馬が立つほど険しい峠ということだそうです。
その険しい坂道を有志寺院がそれぞれの道具を持ちながら登り、落ち葉や石の除去、草刈りなどを行いました。
昼からは、一の谷庵までの峠、洞雲山から坂出観音寺までを分かれて作業しました。
今年は数年前まで遍路道を整備していただいていた先達様に崩れた階段の補修の仕方や溝の切り方なども教授していただきました。
皆様のお蔭で整備されたきれいな遍路道になりました。早くお遍路さんに歩いてほしいです。
参加いただいた寺院様、先達様ありがとうございました。

参加者
歓喜寺、多聞寺、明王寺、池田長勝寺、誓願寺、松林寺、宝生院、長浜長勝寺、三木榮、森下忠雄、岩見守


時代の流れ

ひろきや旅館 村崎 光広

新年明けましておめでとうございます。
年号も令和になり初めてのお正月を迎え、気持ちを新たにしています。私もこの仕事に従事して35年余り、先代の教えを変えることなく時が過ぎて行きました。
年々巡拝者の数が大きく変わりこれも「時代の流れ」とよく耳にしますが、お大師様の教えは変わりなく、しかし人の気持・心は変わるかもしれない。先代の住職方が、努力・苦労しながら島への巡拝に大勢の人々を導いたことが、今の巡拝に引き継がれていると思います。
「温故知新」ではないけれど初心に帰り活気ある巡拝の島にと思うのは私だけでしょうか。
初心ぶれることなくお客様をお迎えして新しい年を頑張ります。                                              合掌


新春のお慶びを申し上げます

株式会社いっぽ一歩堂 代表取締役 佐々木 康夫

皆様おすこやかに新春をお迎えのことと存じます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
いよいよ令和2年は、東京オリンピックが行われる年でもあり、日本が世界から注目される年になります。
日本へのインバウンド(訪日外国人旅行者)も右肩上がりで増えており、来年にはピークを迎えると言われております。
その影響からか、四国霊場では外国人のお遍路さんも姿を見ない日はないほどです。
しかし一方で四国霊場の参拝者数はここ10年で4割減と非常に苦戦しております。
苦戦しているのは小豆島霊場も例外ではありませんが、四国霊場ではその状況を打開すべく
「賜弘法大師号1100年記念事業」を新たにスタートさせております。
「賜弘法大師号1100年記念事業」とは、空海上人が弘法大師の諡(おくりな)を醍醐天皇より賜り1100年を迎える年を記念したもので各札所で「御詠歌札」の授与や、「大師納経」などの事業が積極的に行われております。
さらに来る令和5年(2023年)は、弘法大師空海さまのご誕生1250年を迎えることもあり、記念事業が継続的に行われるとのことです。
小豆島霊場におかれましても四国霊場に倣って、より多くのお遍路さんをお迎えできるよう、霊場全体が一丸となって今までとは違ったアプローチ(新事業)が必要かと思います。
私どもは島外(兵庫県宝塚市)の会社ではございますが、「小豆島霊場の魅力をより多くの方に伝えたい」という気持ちに変わりはありません。
今後は可能な限り、新たな視点でのご提案やご協力をさせていただく所存です。
本年が皆様にとって実り多き一年になることを心よりお祈り申し上げます。

いっぽ一歩堂HP
https://www.ippoippodo.com/


令和最初の正月を迎えて


小豆島霊場会会長   歓喜寺 河野宏宜
新年明けましておめでとうございます。 新しい年を迎えて、皆さまには益々ご健勝で幸多き年に なることを心よりご祈念申し 上げます。
さて、今年は令和最初の正月を迎えると共に、干支では 最初の「子年」にあたります。新しい時代の令和が始まり、干支も最初の「子年」に戻り、いよいよ東京オリンピックが 開催されますが、「子年の令和二年がどのような年になるのか大変楽しみです。十干十二支で表すと「庚子」(かのえね)の年になります。十二支の「子」は動物の鼠の意味ではなく、子は本来「孳」という字で、「種子の中に新しい生命がきざし始める状態」を指し、十二支は植物の循環の状態を表しています。それでは十干の「庚」の意味はというと、庚は「更」という字に通じ、「植物の成長が止まって新たな形に変化しようとする状態」を指します。この十干十二支を合わせた干支「庚子」は、勉学や仕事、恋愛、健康などそれぞれが相互に影響をもたらし合います。何かに行き詰まったときは全く別の物から活路を見いだせることもあるでしょう。また、十干十二支を植物で見た時、庚子は変化が生まれる状態、新たな生命がきざし始める状態なので、全く新しいことにチャレンジするのに適した年でもあります。
ただ、新しいものだけが良いのではなく、変わらないものや変わってはいけないものもあることを忘れてはいけません。松尾芭蕉は「奥の細道」の旅の途中で「不易流行」(ふえきりゅうこう)「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」という言葉を残しています。「不易」とは、どんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対変わらないもの、逆に「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従って変わっていくもの、あるいは変えなければいけないものであり、しかも「不易」と「流行」の両方の根本は一つであると言っています。昨今は、「不易」よりも「流行」が重視される時代で、目先の価値観にとらわれ、短絡的に実用的なものを求めがちでありますが、今一度「不易流行」の意味をじっくりと考えてほしいと思います。小豆島霊場も、新しい時代になっても「不易流動」を心がけ、変えるべきは変わり、変えてはいけないものは大切に守っていかなければいけないと思います。
合掌