令和最初の正月を迎えて


小豆島霊場会会長   歓喜寺 河野宏宜
新年明けましておめでとうございます。 新しい年を迎えて、皆さまには益々ご健勝で幸多き年に なることを心よりご祈念申し 上げます。
さて、今年は令和最初の正月を迎えると共に、干支では 最初の「子年」にあたります。新しい時代の令和が始まり、干支も最初の「子年」に戻り、いよいよ東京オリンピックが 開催されますが、「子年の令和二年がどのような年になるのか大変楽しみです。十干十二支で表すと「庚子」(かのえね)の年になります。十二支の「子」は動物の鼠の意味ではなく、子は本来「孳」という字で、「種子の中に新しい生命がきざし始める状態」を指し、十二支は植物の循環の状態を表しています。それでは十干の「庚」の意味はというと、庚は「更」という字に通じ、「植物の成長が止まって新たな形に変化しようとする状態」を指します。この十干十二支を合わせた干支「庚子」は、勉学や仕事、恋愛、健康などそれぞれが相互に影響をもたらし合います。何かに行き詰まったときは全く別の物から活路を見いだせることもあるでしょう。また、十干十二支を植物で見た時、庚子は変化が生まれる状態、新たな生命がきざし始める状態なので、全く新しいことにチャレンジするのに適した年でもあります。
ただ、新しいものだけが良いのではなく、変わらないものや変わってはいけないものもあることを忘れてはいけません。松尾芭蕉は「奥の細道」の旅の途中で「不易流行」(ふえきりゅうこう)「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」という言葉を残しています。「不易」とは、どんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対変わらないもの、逆に「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従って変わっていくもの、あるいは変えなければいけないものであり、しかも「不易」と「流行」の両方の根本は一つであると言っています。昨今は、「不易」よりも「流行」が重視される時代で、目先の価値観にとらわれ、短絡的に実用的なものを求めがちでありますが、今一度「不易流行」の意味をじっくりと考えてほしいと思います。小豆島霊場も、新しい時代になっても「不易流動」を心がけ、変えるべきは変わり、変えてはいけないものは大切に守っていかなければいけないと思います。
合掌


新天皇陛下御即位奉祝万灯会


10月22日、即位礼正殿の儀の日に合わせて小豆島霊場の15ヶ寺のご住職、御詠歌隊、山伏、各地区信徒、地元の方に参加いただき万灯会を厳修いたしました。
新天皇陛下のご即位をお祝いすることはもちろん、併せて鎮護国家・世界平和・各家安全を願いご参列の皆様とともにロウソクの幻想的な灯りの中、般若心経21巻お唱えしました。



巡拝者の投稿俳句

弘信大師会
  久保 若葉

・人生を 試す思いの 遍路道
・経唱え 我が人生の 遍路道(遍照172号掲載)
・棚田に 鐘の音響くや 遍路道
・ひたすらに 登る石段 遍路道
・古希になり 祖母の面影 遍路道
・山野めぐり 心の修行 寺院路
・我が人生 試す思いの 遍路道
・春日和 遍路回道に 若葉かな
・山路来て せせらぎ清 遍路橋(遍照172号掲載)
・春棚田 湧き水清き 遍路川
・遍路道 祈りこめつつ 地蔵さん
・思いやり 至れり尽くせり 遍路宿


ふれあいバス大巡行


去る10月6日(日)小豆島霊場会主催のふれあいバス大巡行が初めて開催されました。約60名、バス3台での賑やかなお参りでした。秋風を感じながら、また各札所では心のこもったお接待をいただき、参加者は充実したお参りをされていました。
次回は11月10日(日)です。次回も多数の方の参加お待ちしております。


巡拝者の声

兵庫県姫路市
姫路巡拝団 前会長
田中 啓子

「島の高嶺の岩陰に…」の歌を聞きながら、私が小豆島に初めてお参りをしたのは、昭和36年の春。6泊7日の徒歩巡礼でした。山を登り、谷を下り、足が腫れてしまいました。靴が履けなくなり、途中で藁草履を買いました。一足を予備に腰にぶら下げて遅れないように必死で歩きました。
遠くの山を見ると、白衣を着たお遍路さんで道が出来ていました。何とも言えない美しい眺めでした。岩をくり抜いた中にお不動様や仏様が祀られているのにも驚きました。お願いしておりました待望の男の子に恵まれ、それからは義父と3人の子どもと私の5人での小豆島巡礼になりました。本当に楽しく、子ども達にとってはまるで遠足のような巡礼でした。
ある時、団体長さんが「行きの船は虚しいが、帰りの船は充実の船や。」と、言われました。何も解らず、言葉だけが残りました。
昭和48年8月18日、次女が突然に亡くなりました。私は、「なんで。なんで。」を繰り返し、後を追って逝きたいと思っていました。そんな時、「貴方には残った2人の子どもとご主人が居るではありませんか。その人達の事を考えてあげて下さい。」と、友人に叱られました。
我に返った私は、亡くなった子どもの供養に徹しました。頭の中では供養の事で一杯でした。小豆島も休むことなく参拝させて頂きました。毎日が自分との葛藤でした。「反省、後悔」と自分を責めて居りました。そんな時、師匠に言われました。「毎日正しく、真面目に生きていれば必ず本尊は助けて下さる。困らせてはない。」「人を救って己が救われる。」と。色々なことを教えて下さいました。
ふり返ってみますと、たくさんの若い母親が、幼い子ども達を連れてお参りしておりました。ある時、子どもがいない事に気づいた母親が慌てて走って来られました。団体の最後を見ていた私がすぐに前のお寺に見に行きますと、他の団体の中で無邪気にローソンを立てていました。また、子ども同士が暴れて杖を傷つけてしまったこともありました。折れては大変と思い、次のお寺で供養をお願いしました。2日後に福田庵でその杖を見つけた時には本当に驚きました。置いてきた杖が先に来ているなんて…。不思議で有難く、心が熱くなったことなど、走馬灯のように浮かんできます。
84才になった今は、何も思うことなく、考えず、ただただ自然を見つめて居ります。美しく咲き誇る花を見れば、この花は今輝いているなぁと思い、萎んで今にも落ちそうな花を見れば、その花に自分の姿を重ね合わせています。何の不安もなく、お大師様、ご先祖様に全てをお任せして居ります。
これからは毎日を安心して、心穏やかに暮らさせて頂きます。
(遍照173号より抜粋)