車遍路お助けグッズ

小豆島霊場巡拝中 表面


車で小豆島霊場を巡拝する時に駐車場がなく停める場所に困る札所が何ヶ所かある。その札所をお参りする際に車のダッシュボードに参拝中がわかるものがあればいいなと、小豆島霊場会公認先達の永田博之さんがデザインしてくださいました。
総本院にて無料配布しておりますので、巡拝のお供にいかがですか?


小豆島霊場巡拝中 裏面


コロナ禍の巡拝について

小豆島において、初めてコロナ感染者が確認されました。
また、gotoキャンペーンが本日より始まります。
小豆島町より小豆島にお越しの皆様に以下のお願いが出されました。
・屋内でのマスク着用及び咳エチケットの遵守をお願いします。
・施設入口での手指のアルコール消毒にご協力ください。
・チケット売り場、船の乗降口などでは、前の人との間隔を1メートル以上保ってください。
その他、従業員、船内スタッフなどより感染防止対策に関わるお願いがあった場合はご協力をお願いいたします。
小豆島町のリンクを貼っておきます。
https://www.town.shodoshima.lg.jp/gyousei/kinkyu/shingatakorona/shinchaku/4629.html

小豆島霊場へお越しの方も以上のことをお守りいただいた上で、ご巡拝いただきます様お願い致します。


巡拝者の投稿俳句

弘信大師会
久保 若葉

・古希になり 祖母の面影 遍路道
・身も心 洗い流して 遍路橋
・春曇り 急く足もと 遍路宿
・春日和 先祖供養の 寺遍路
・千枚田 いやしてくれる 水仙花
・山里に 鐘の音響く 小豆島(遍照175号掲載)
・小豆島 思い込めつつ 遍路道(遍照175号掲載)
・寒椿 香りいやして 遍路道
・地蔵様 癒してくれる 小豆島


四恩への想い

小豆島霊場会副会長  多聞寺 藤本佳鳳
「いわゆる四恩とは、一つには父母、二つには国王(国)、三つには衆生、四つには三宝なり」これは弘法大師様のお言葉です。「四恩」は仏教の言葉として広く使われておりますが、お大師様は「我々が生きていく上で、この4つのことは大切に想いなさい」と改めて仰られております。
一、「父母の恩」
 私は若い人たちに「あなたたちにはご先祖さんは居ますか?」とよく尋ねます。大抵の子たちは「います」と答えますが、中には「いません」と答える子が居ます。「おいおい君たちはどうやって生まれて来たんだい?」と問い返し、自身の父母、祖父母と代々自分には先祖が必ずいることを伝えます。つまり「父母の恩」とは「先祖の恩」今自分が何故、どうやってこの世に生命をいただいているのか?それを考えると、凡その人は「感謝の念」が湧いてくると思います。そして、その恩に報いるのは自分が、そして子孫が幸せに生きていくことであります。
二、「国王の恩」
 私たちは今「日本」という国で過ごしております。そして日々この国でこの土地で暮らしております。「国」に対して皆様も感謝すること、また反対に不満に思うこともあるでしょう。しかし、現実私たちはこの「日本」という国で過ごしております。そして今上天皇は私たちの安寧を毎日祈ってくださっております。私たちも「日本国」を大切に思い、人々が安心して暮らせるように祈りましょう。
三、「衆生の恩」
 「衆生」とは自分を含め家族親戚友人知人、はたまた赤の他人まで。つまり有縁無縁すべての人のことを言います。私たちは意識せずとも、日々の生活の中で、様々な人たちのお世話になっております。今、皆さんがお読みになっているこの新聞も、原稿を作る人、印刷をする人、それを皆さんの手元に届ける人などなど。萬人の力が加わっております。
 人は決して独りでは生きて行けません。生まれるときも、生きている間も、そして命尽きてこの世を去る時も、去ってからも・・・ 以前私は、齢九十を有に越された、とあるご老僧にこんな話を聞いたことがあります。「人は年老いると頑固になって、人の言うことを聞かん。なんでも独りでできると思っとる。そやけどな、長いこと引導渡してきたけれど、自分で棺桶入った人は居らんかったわ。はっはっは」と・・・
四、「三宝の恩」
 「三宝」とは「仏・法・僧」を言います。「仏」とは「仏さま(お大師様)」「法」とは「仏さま(お大師様)の教え」「僧」とは「その教えを衆生に伝える僧分(先達)」であります。私たちは日頃から仏を拝み、その教えを読経し、そしてその教えを学びます。人生幸せだけではありませんが、それでも平穏だと思えることは「三宝」のおかげであります。
 「恩」とは「おかげ」。近頃私たちの忘れがちな「おかげさま」という感謝の気持ちを常に持ち「ありがとう」と掌を合わしながら、にこやかにお過ごしください。「身(合掌)・口(ありがとう)・意(感謝の気持ち)」これが真言密教の「三密」です。(遍照175号より抜粋)


一期一会

小豆島霊場会会長   歓喜寺 河野宏宜
 私たち人間の一生は長いようで短くもあります。この一生の間に巡り合う人は限られています。「会いたい人」「会いたくてもなかなか会えない人」「会いたくなくても会わなければいけない人」いろいろな人がいます。
 また、人との巡り会わせだけでなく、時間や空間などもその時その時の一瞬の巡り会わせがあります。
 この人や時間や空間などの巡り会わせは、必然的でもあり偶然的なときもあり、よくよく不思議な巡り会わせであります。
 今回の新型コロナウイルス禍によって、いつも会える顔なじみの遍路さんや、初めて会う遍路さんに出会う機会が少なくなったことで、遍路さんの皆さんと毎年のように顔を見て話をしていたことが改めて貴重な時であることを実感しています。
 千利休の言葉で「一期一会」という茶道の言葉があり、一生に一度という意味で使われることがありますが、小豆島霊場とお遍路さんとの一期一会の関係とは、毎年の巡拝の時に出会う時であり、その瞬間は二度と同じ時間が巡ってこない大切な時であります。
 しかし、今回のコロナ禍によってほとんどの霊場公認団体の巡拝や、個人先達の方々の巡拝が中止となり、この一期一会の大切な時をむかえる機会がなくなりましたことは心から残念に思います。
 そこで、小豆島霊場会では今年度の小豆島霊場巡拝を中止して巡拝ができなかった遍路さんの代わりに、全先達の名前を全札所に奉納し、皆さまの家内安全・身体健全・商売繁昌・五穀豊穣・各家先祖供養などの代参巡拝を執り行い、先達の皆さんの心と小豆島霊場寺院各本尊様との絆を繋げていきたいと思っています。この状況が収束した時には是非小豆島霊場を安心して巡拝していただき、その時には新しい一期一会の大切な時間を過ごしていただきたいと思います。
 その時には、小豆島霊場寺院住職や寺族をはじめ、旅館や巡拝関係業者の方々共々に皆さまを心からのおもてなしをさせていただきたいと思います。
 また小豆島霊場会では、このコロナ禍によって、苦渋の選択で毎年のさまざまな行事を仕方なく中止しなければならなくなりました。
 しかし今は一人一人が我慢をして、大切な人をお互いに思い合い、この危機的状況を乗り越えていかなければなりません。
 小豆島霊場会では、さる四月二十一日に全霊場寺院に呼びかけて、各寺院にて午前九時に梵鐘を七遍鳴らして、コロナ禍の早期終息をはじめ感染者の早期回復の祈願と、感染物故者の供養ならびに、医療従事者の安全の一斉祈願法要を各寺院において執り行いました。
 最後になりましたが今の状況が収束を迎えた時には、是非小豆島霊場に巡拝に来ていただき、皆さまとより一層の一期一会の機会を迎えたいと思っています。               合掌                 (遍照175号より抜粋)