令和の時代を迎えて思う
小豆島霊場会会長 歓喜寺 河野宏宜
新しい元号が平成三十年四 月一日に決まり五月一日から「平成」の時代から「令和」の時代に元号が変わりましたが皆さんは何を思い、何を感じたでしょうか。 新しい元号の「令和」は、六四五年の「大化」から始まり二四八個目の元号であります。元号の歴史と天皇の歴史は重なっていますが、実は天皇の歴史のほうが長く、初代天皇の神武天皇から三十六代の孝徳天皇の間には元号は存在していませんでした。また、昔には元号が変わるのは天皇の交代のみではなく、疫病や旱魃、地震、津波などの天変地異が続いたり、内乱がつづいた時などに、これを嫌って改元されることはしばしばありました。 ただ、明治時代以降は天皇一代一元の代始改元に定められています。いずれにしても、今も昔もいつの時代の元号を考えるときには、鎮護国家をはじめ国民の幸せを考えて元号を決めてきたことに変わりはないと思います。 弘法大師空海も中国から帰朝して、弘仁の時代の嵯峨天皇の時に聖朝安穏・天下泰平のための祈祷を高雄山寺にてご祈祷しています。
小豆島霊場会も新しい令和の時代を迎えて、鎮護国家・五穀豊穣・世界平和をはじめ小豆島霊場を巡拝する人々の幸せを祈念して、令和元年の十月二十二日の今上天皇「即位礼正殿の儀」に合わせて、祈願法要を執り行いと思っています。
まずは、皆さまにとって、令和の時代が平和で幸多き時代になりますことを小豆島よりご祈念いたします。
合 掌
(遍照第172号より抜粋)
遍路道整備の様子
今まで長年にわたり、島内有志の方々がほとんどボランティアで山道の草刈りから手すりの設置、足場の補強など遍路道保持のため活動していただいていたが、有志の方々の高齢化などに伴い活動が難しくなってきていました。これらの徒歩の遍路道は小豆島の大切な財産であり、歩き遍路には欠かせないものであります。
そこで、霊場会所属のすべての寺院に遍路道整備の依頼をし、12月26日に遍路道の整備を行いました。今回は堀越庵から田ノ浦庵までの馬立ち峠と薬師庵から風穴庵までの山道の整備をしました。今年は災害も多く、台風もたくさん通過したので倒木や落石が目立ちましたが参加寺院の方々が寒空の下、一生懸命汗を流しながら遍路道の整備に励みました。その甲斐あって、見違えるほどに綺麗に整備していただきました。出仕いただいたご寺院様ありがとうございました。
出仕寺院は以下の通り。
坂手観音寺、明王寺、池田長勝寺、歓喜寺2人、誓願寺、松林寺、常光寺副住職、多聞寺、宝生院、長浜長勝寺、事務局寺尾龍英(敬称略)
今年の夏の猛暑は特別でした。七月初旬には西日本豪雨被害が発生し、多くの皆様方が災害に遭われました。皆様方が一日も早く元の生活に戻れますことをお祈り申し上げます。さて私が最初に小豆島のお参りをしたのは小学校六年生の時、両親に連れられて出かけました。何も覚えてないが船に乗って行ったことぐらいしか頭に残っていない。結婚して子供が出来てから両親と親子三代でお参りした事、その後、約三十年ほど前、地元に三石同朋会という団体がある事を知りました。誘ってもらい一緒に参拝させていただくようになり、そして二十五年程前に団体長さんが体調を悪くされ団体を引き継いでくれないかといわれて主人と二人で引き継ぎ現在に至っております。霊場会の教えを受けながら一生懸命頑張ってきた。行事にはほとんど参加させていただきました。弘法大師入唐求法千二百年記念訪中にも参加する。小豆島開創千二百年記念事業にもほとんど参加させていただきました。皆さんと一緒に高野山参拝もいたしました。お大師様の朝食の行列も見させていただきました。何とも言えない気持ちになる、先達講習会も今回で二十三回受講する。講習会で勉強したことは小豆島巡拝時に団員さんに話しながら参拝するようにしてきました。今後は一人でも多くの方が元気で小豆島参拝が続けて行けますようにと願いつつ…
ありがとうございました。 合掌
三石同朋会 特任大先達 林田 由子(霊場新聞「遍照」第170号より抜粋)
丸山大師講は今年で百十三周年となるが、講の名称の由来である丸山公園内には明治の終わりから大正の初めにかけて造られた四国八十八ヶ所霊場と西国三十三ヶ所霊場のお砂踏み場、さらには小豆島八十八ヶ所霊場のも造られている。四国霊場、西国霊場、小豆島霊場の三つのミニ霊場が一ヶ所にまとまっているのは全国でも類を見ない。この丸山霊場を多くの人に参拝してもらうためにはどのようなアピールが必要なのか。日々、講員の仲間たちと考えをめぐらしている。
一方、四国霊場は外国人による歩き遍路が年々と増加傾向にある。最近では海外メディアもお遍路に注目している。インターネットの普及が大きいようで、お遍路の体験談がブログやホームページに公開されることで外国人のお遍路に対する興味が急速に高まっている。それでは小豆島霊場はどうなのか。外国人遍路もほとんどなく、むしろ減少傾向にある。しかしながら、小豆島霊場には四国霊場にあまり見られない洞窟霊場や鎖場があり、暗闇の中で厳修する護摩祈祷や、急斜面の岩肌を鉄の鎖を持ってよじ登る岩登りは非日常的な体験となる。また、オリーブや素麺、佃煮、醤油、そしてごま油など小豆島で作られている食文化を見学・体験もできる。この存分なポテンシャルを世界に向けて情報発信していけば小豆島遍路の活性化は決して難しいことではない。
早いもので小豆島に参拝して、今年で五十五年以上の歳月が経過した。最近は「世界平和」を願いつつ参拝しているが、小豆島霊場は日本だけでなく、世界にアピールできる大きな魅力と吸引力を持っているものと固く信じている。 丸山大師講会長 安藤哲信様 (霊場新聞「遍照」第170号より抜粋)
謹んで新年のお慶び申し上げます。
本年平成28年六十干支は丙申。天の気の丙(火の兄=ひのえ)は火の気、地の気は申の金の気。天地の相性は火と金の火剋金。火は金を溶かしてしまうとし、剋され余り良くない。また二黒土星の年。二黒の土は、一白の水を含み、九紫の火で温められ、柔軟性があり粘り強く、適度に温められ色々な物を産み育てる母なる大地とし、何事にも動揺せず全ての物を受け入れ支え「万物は土より出でて土に復」仏の慈愛もまた同じ、深く深く浸み入る恵み。あまりにも大きな恵に体感すら出来ず、過ぎ流して居ないか。仏が一切衆生に贈り続けている慈悲という光。これを御蔭といい、おかげ様と言うのは常に「かげ」と成って居て目に見えない。各々の持つ仏心にしか感じ得ることが出来ない。摩訶不思議。
正しい知恵を持ち、自分の事と考え他の生きとし生けるものの幸せをもたらし、自身の為に仏性の実践を行おうとする心。仏に向かおうとする心を菩提心と言い、その心を発す事が第一の出発点であるとする。
「オン ボウジ シッタ ボダハダヤミ」
仏と行者の一体観、入我我入し、一切衆生は本来、仏で有るとの教えから自心の仏性を開花させるとする。
「オン サンマヤ サトバン」
この意を以て説かれる御真言を唱えたならば既に、具現し仏果と繋がり、厚く蔽った雲を祓い本有の仏身の存在に気付くことでしょう。
弘仁5年大師御開創、江戸初期17世紀後半には小豆島霊場が成立していたとみられ、昭和11年3月1日発行の小豆郡誌第1続編には、「大正2年郡保護ノ下ニ霊場会ヲ組織シ各官衙寺院町村等郡内各機関ノ総動員ニテ其ノ発展ニ努メ来リシ・・・。」云々とあり、小豆島霊場会としても103年を迎えます。移り変わる時代の中、法灯連綿として大師の教えを説き導かれ御蔭を頂きながら今日が有り、明日に繋げ御仏との縁を結縁を尊び、逆打ちの功徳も伝えられる中、更に大きく広く潤いの有る年で有ります様願い、霊場興隆、巡拝者の講中安全、無魔成満を厚く祈念致します。
霊場寺院諸大徳様、霊場協会会員様、公認団体地区委員様、各団体先達様、島内外の関係者の皆様、これまで以上に御指導、御協力の程、宜しく御願い申し上げます。
合掌
小豆島霊場会 会長
第72番 瀧湖寺住職 宮田和生